徳川家康ゆかりの地、藤枝に残る歴史の要所を巡るコース!歴史好きにはたまらない藤枝のディープな歴史スポットを巡り、体験し、家康と藤枝の繋がりを知ることができます。
藤枝の新たな魅力を再発見できるコースです。
コースマップ
車
郷土博物館・文学館の建物は、市民の憩いの場である蓮華寺池公園内にあり、郷土の歴史・文学・文化に触れ、親しむことができます。郷土博物館では、原始から近現代に至るまでの藤枝市の歴史を体系的に学ぶことができます。また、文学館では、藤枝市ゆかりの文学者・芸術家の生い立ちや作品世界について展示しています。
滞在時間 30分
車で20分
朝比奈大龍勢(あさひなおおりゅうせい)は2年に1度、10月に行われる岡部町朝比奈地区の伝統行事。龍勢とは火薬を詰めた筒を竹竿に結び打ち上げるロケット花火のことで、白煙を上げながら一気に上昇していく姿は、まるで龍が昇天していくようです。全長15mを超える巨大なロケット花火の打ち上げ台がこの櫓です。
滞在時間 15分
車で3分
朝比奈谷は水清く山美しきところで、殿様の屋形(家)のあったことから由来がきている殿(との)という地域があります。そこに「ちまきの井戸」と呼んで古くから村人が大切にしている井戸があります。この水を使って殿の部落では、ちまきを作ったという由来から、粽の井戸と名付けられました。
滞在時間 10分
車で2分
自家栽培した旬の野菜を中心に、素材の味を堪能できるカフェ。ランチには地元食材のそれぞれの魅力を引き出した丁寧な一品が並びます。
ちまきとは、昔は白茅(ちがや)の葉で巻いたことが由来ですが、今は笹や真菰の葉などで巻いて蒸して作ります。今でいう一種の保存食品で、村人は武家屋敷にまで出かけていって献上したとされています。
滞在時間 30分
車で17分
江戸時代には、田中城内へ通じる木戸口は東西南北の4つありました(東の平島口、西の清水口、南の新宿口、北の藤枝(大手)口)。そのうちの平島口から平島村・上当間村を通って鬼島村の八幡橋で東海道と合流する道のことを、御成街道といいます。これは、江戸時代はじめまで平島口が田中城の正門だった頃、この道を通って大名・武将が行列を従えて田中城へ出入りしたことから名づけられました。
車
かつて鬼島村の小柳津源六の屋敷内に50間(約90四方)の広さの竹林があり、勝退薮と呼ばれていました。徳川家康が関ケ原の戦いのときにこの竹を旗竿として出陣し、見事勝利して以来、吉例として大坂の陣にも旗竿を献上したそうです。今は薮はなく標柱のみとなっています。
滞在時間 5分
車で6分
静岡県藤枝市平島(ひらしま)の「馬上の清水」(ばじょうのしみず)は、田中城平島木戸の北東に位置する徳川家康ゆかりの地です。鷹狩りの際に田中城へ立ち寄った家康が、ここで従者が汲んだ水を馬に乗ったまま飲んだことが名前の由来となっており、水は今でも湧き出ています。
滞在時間 10分
車で3分
田中城の南東隅にあり、一色氏やその子孫古沢氏の屋敷跡だとも伝えられています。しかし、江戸時代後期には城主の下屋敷(別荘)が置かれ、築山、泉水、茶屋等を設けて四季の景色を楽しんだといわれています。城に有った建物の実物が現在まで残されることは極めて珍しく、市指定文化財になっています。
滞在時間 60分
車で6分
本能寺の変で織田信長が討たれた際、徳川家康は身の危険を感じ、岡崎へと逃げました。伊勢の白子(三重県鈴鹿市)あたりで敵に捕まりそうになりますが、畑で麦を刈っていた小川孫三という百姓が機転を利かせ、その麦の中に家康を隠して、敵の目を欺きました。おかげで家康は無事に岡崎にたどり着くことができましたが、孫三は家康をかくまった罪で伊勢の白子を追われる身に。そんな孫三を不憫に思った家康は、助けてくれた恩返しとして、藤枝に新白子という町をつくり住むことを認め、さらには税金まで免除しました。
滞在時間 10分
車で3分
慶長年間創業。田中城に菓子を納めていたと伝えられる御用菓子司です。徳川家康への献上柿にならって考案された「長寿柿」は、柔らかい干し柿に手練りの白あんを詰め、氷餅をまぶした銘菓。なめらかな口当たりで食べ応えもあり、茶菓子や手土産におすすめです。そのほかに、いちじくや杏をつかったお菓子も人気です。
滞在時間 30分
車で1分
滞在時間 5分
車で7分