藤枝市のプロフィール
静岡県の中央部に位置し、南北に長い地形をもつ藤枝市は花と緑、水が豊かなとても心地よい土地です。
古代への好奇心を駆り立てる古墳にはじまり、仁徳天皇時代(316年)に創建された伝統と格式の神社、奈良、平安時代の政治文化を見つめる役所跡、戦国時代に今川―武田―徳川と主を変えた城の歴史、そして、江戸時代には東海道21・22番目の宿場町として栄えました。
今も、当時の藤枝宿・岡部宿とあまり変わらない町筋が残り、400年前の人の暮らしぶりをふと思ってしまいます。
そんな風景のあるところだから藤枝は、来て楽しくて、見て楽しくて、知って楽しい。
気候風土と人が良いから、心身がリラックスしてとても楽な自分でいることができます。
どうぞ、この藤枝を満喫してください。
藤枝市は静岡県の中央に位置し、静岡市の西に隣接しています。
地形は南北に長く、北部は赤石山系の南端に接し豊かな緑に恵まれています。
南部には肥沃な志太平野が広がり、市街地を貫くように瀬戸川が流れています。東海道の宿場町として発展してきた岡部町と平成21年1月1 日に合併しました。
また、東京と名古屋の中間にあるため、古くから交通が発達し、東海 道の交通の要衝になっています。
藤枝市の歴史
古代4世紀末から5世紀にかけて造られた28基もの古墳群(若王子古墳群)にはじまり、仁徳天皇時代(316年)に飽波郷(旧藤枝一円)の鎮護の神社として創設された伝統と格式ある神社(飽波神社)、奈良・平安時代には、駿河国の2つの郡役所(志太郡衙・益頭郡衙。うち志太郡衙跡は国指定史跡として現在保存 されている)が置かれ、志太平野の政治・経済の中心として栄えたとされています。
さらに、戦国時代に今川・武田・徳川と主を変えた城の歴史や、江戸時代には東海道五十三次の品川宿から数えて21・22番目の宿場町、田中藩の城下町として、東海道の交通の要衝・教育の中心として発展しました。 現在も当時の藤枝宿とあまり変わらない町筋が残っています。
それは一人の若い校長の英断から始まった―
1924年(大正13年)、志太中学校(現藤枝東高校)の初代校長錦織兵三郎が、「蹴球」すなわちサッカーを校技として以降、高校を筆頭に、小学校、中学校、社会人、シニアに至るまで様々な年代で数々の成績をあげ、サッカーのまちが築かれてきました。
また、FIFAワールドカップに出場した中山雅史さん、名波浩さん、長谷部誠さんをはじめ、多くの日本を代表する選手、指導者ら優秀な人材を輩出するとともに、市民のサッカーへの関心は非常に高く、競技者のみならず多くの人がサッカーに親しみ、ひとつのスポーツという枠を超えた文化として根付いており、2024年、その歴史は100年を迎えました。
他に類をみないその歴史や文化を背景に、「蹴球都市」として、さらにその歩みを進めています。
お茶のまち藤枝
明治期、生糸と並ぶ日本の重要輸出品目であったお茶は煎茶の製茶方法がほぼ完成し、大々的に生産されます。ここ藤枝の山間部は気候風土がお茶に適しており、早くから山林を開墾、茶園を広げお茶の生産に力を入れてきました。優良茶の生産地である山間部の茶生産農家は藤枝宿に出て取引をするものが増え、茶商になるものが出てきます。すると、製茶だけでなくその他の茶業関係の仕事をする者たちが次第に集まり、藤枝は茶産業のまちとしての特徴を大きくしていきます。
製茶業者・茶商は貿易の窓口であった横浜から情報を仕入れ取引をしながら、1902年には藤枝製茶貿易株式会社を設立し自らが製茶・仕上げをして直接海外市場へ輸出するようになります。このころより静岡の茶業組合などにより静岡茶が大きな発展をし、お茶の輸出窓口が横浜から清水へ移り、藤枝から牧之原にかけて(静岡県中部)の生産量は大幅に増加し、その集積地として藤枝はお茶と共に発展していきます。
藤枝には、明治期に一地方都市の農民や商人など世界を相手に商売をしようとする気概を持った人々がいたのでした。そんな人々から受け継いだお茶への思いを込めて、藤枝のお茶は作られています。茶商が集まっている「茶町」の地名。今でも小路を歩いているとどこからともなく、清々しいお茶の香りが漂ってきます。
朝ラーメンのまち藤枝
藤枝は古くからお茶の生産地として有名で、お茶取引などで朝早 くから仕事を始める働き者が大勢いました。早い時間では3時、4 時から仕事が始まり、5時、6時には仕事を終えていたようです。
藤枝のあるところに評判のラーメン屋があり、仕事帰りに腹ごし らえをしようと毎日早くから行列が出来ていました。
店主はその行列を見かねて、次第にお店の中に呼び入れるように なり、徐々に営業時間が早くなったといわれています。
また、そのラーメンはつるりとした喉ごしの麺と日本そばを思わ せるさっぱりとしたスープの中華そばで、朝から食べても胃にも たれないと評判になり、2種類の味を楽しもうと「温」と「冷」 をセットで食べるのが藤枝流となりました。今では藤枝を中心に 朝から営業を開始する店が多く出来ています。